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仙台地方裁判所 昭和46年(ワ)679号 判決 1973年3月14日

原告 門間テル

原告 門間典雄

原告両名訴訟代理人弁護士 渡辺大司

右訴訟復代理人弁護士 織田信夫

被告 宍戸貞雄

右訴訟代理人弁護士 藤平国数

浜崎千恵子

山口博

被告 大和運送有限会社

右代表者代表取締役 駒木俊枝

被告 小坂忠夫

右被告両名訴訟代理人弁護士 蔵持和郎

主文

一、被告宍戸は、

(一)  原告テルに対し金四三七万〇、三〇二円

(二)  原告典雄に対し金一〇六万円及び右各金員に対する昭和四六年一〇月三日より完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告らのその余の請求は、いずれもこれを棄却する。

三、訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの負担とし、他の一を被告宍戸の負担とする。

四、この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

原告ら訴訟代理人は「被告らは各自原告テルに対し金五九七万四、〇〇〇円、原告典雄に対し金二二五万円及び右各金員に対する昭和四六年一〇月三日より完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被告ら各訴訟代理人はいずれも請求棄却の判決を求めた。

第一、原告らの主張及び被告らの主張に対する認否

一、請求原因

(一)  原告門間テルは昭和四三年六月一九日午前六時一五分頃名取市植松字宮島八三番地先の国道において、被告宍戸貞雄の運転する同人所有の普通貨物自動車に同乗して岩沼方面から仙台方面に向け進行中、対向進行してきた被告小坂忠夫の運転する被告大和運送有限会社所有の大型貨物自動車と衝突し、因って右大腿切断、左大腿骨骨折の重傷を受けた。

(二)  右事故は、被告宍戸の追越方法不適当と被告小坂の前方不注意の過失が競合して発生したものである。

(三)  故に、

(イ) 被告宍戸は不法行為者として民法第七〇九条により、また前記普通貨物自動車を所有し、運行の用に供していたものとして自動車損害賠償保障法第三条により、

(ロ) 被告小坂は不法行為者として民法第七〇九条により、

(ハ) 被告会社は前記大型貨物自動車を所有し、運行の用に供していたものとして自動車損害賠償保障法第三条により、また、本件事故が、同会社の従業員被告小坂の会社業務執行中に生じたことに照らして民法第七一五条に則り、

いずれも本件事故に因り原告らが蒙った後記損害を賠償すべき責任がある。

(四)  損害

(イ) 原告テルの損害

(1) 医療費         金四九万四、六七六円

右は原告テルが前記負傷を治療するために要した費用で、その内訳は、

名取市所在の大山外科医院における事故当日の治療費 金七、九〇〇円

仙台市所在の宮城第二病院における事故当日より昭和四四年一月一〇日まで九四日間の入院治療費                  金一六万二、〇八三円

仙台市所在の宮城県拓杏園における同四四年一月一〇日より同四五年一二月二五日まで七一五日間の入院治療費            金三二万四、六九三円

である。

(2) 付添看護費       金二一万九、六〇〇円

右は宮城第二病院における入院治療中、医師の指示により同四三年六月一九日より同年八月一八日まで六一日間に亘り、一日付添看護人三名を付けた費用である(一日一人当り金一、二〇〇円の割合)

(3) 栄養費          金四万六、〇〇〇円

右は入院九二〇日間に要した一日金五〇円の割合による牛乳、鶏卵等の栄養費である。

(4) 入院諸雑費       金一八万四、〇〇〇円

右は入院九二〇日間に要した一日金二〇〇円の割合による雑費である。

(5) 義足、杖代       金一九万五、二二五円

右は原告テルが本件事故に因り右大腿切断、左大腿骨骨折の負傷を受けたため(右下腿は切断により左下肢より四一センチ短縮の後遺症を残し、左下肢も左大腿骨仮関節形成の後遺症を残すに至った)必要となった大腿常用義足とS型ステッキの現在及び将来における購入費用である。即ち、テルは現在及び将来に亘り右の補助器を必要とするに至ったので、昭和四五年一二月これを代金四万一、七〇〇円で購入した。

しかし、右の耐用年数は最大四年であるから、テルの平均余命三四・五年(テルは右の義足装置時四二才(昭和三年八月生)であり、厚生省第一二四生命表によれば平均余命は三四・五年となる)中には尚ほ六回以上の補助器の買替を要するところ、これをホフマン式計算方法(年五分の中間利息控除)により現在価額を算出すれば別紙計算表第一のごとく合計金一五万三、五二五円と算定され、これに既に支出した金四万一、七〇〇円を加算した金一九万五、二二五円が右の補助器購入の費用である。

(6) 休業補償費      金一〇三万三、一六〇円

右は農業に従事していた原告テルが事故当日より昭和四五年一二月二五日までの九二〇日間入院加療のため失った一日金一、一二三円の割合(労働省労働統計調査部作成賃金センサス参照)による休業補償費である。

(7) 後遺症に因る逸失利益 金四五〇万二、〇四〇円

原告テルは右大腿切断及び左大腿骨仮関節形成の後遺症を残し、前者は労災保険法別表後遺障害等級第四級五号に該当し、後者は第七級一〇号に該当し、これを併せて第三級に該当するものであって、労働能力の喪失率は一〇〇分の一〇〇である(昭和三二年七月二日労働基準局長通牒基発第五五一号別紙労働能力喪失率表参照)。テルの傷害が一応治癒した昭和四五年一二月現在において同女の年令は満四二才であり、今後少くとも六三才まで二一年間は家事並びに農業に従事して月額金三万三、七〇〇円(前記賃金センサス参照)を挙げ得た筈であるのに、前記のごとく労働能力を喪失したため全く収益を挙げることができなくなった。そこで、右の二一年間に亘る損害をホフマン式計算方法(年五分の中間利息控除)により昭和四五年一二月現在における価額に換算すれば、別紙計算表第二のごとく金四五〇万二、〇四〇円と算定される。

(8) 慰藉料             金四五〇万円

原告テルは前記傷害により日夜死に勝る苦しみを味い、また、前記後遺症により生れもつかぬ不具者となった。同女は受傷時三九才の妻で、三女の母であるが、その苦痛、憤まん、絶望感は到底文字をもって表わすことのできないものである。右の事情とその他事故の態様、当事者の資産等を考慮すれば、同女に対する慰藉料は金四五〇万円を下らないものである。

(9) 弁護士費用            金五〇万円

被告らの不誠意な態度により原告テルは本訴提起を余儀なくされ、これを本件原告ら訴訟代理人に委任し、着手金として金二〇万円を支払い、後日謝金として金三〇万円を支払うことを約した。

(ロ) 原告典雄の損害

(1) 慰藉料             金二〇〇万円

原告典雄は原告テルの夫であって、テルの本件受傷及び後遺症により多大な精神的打撃を受け、今後も起居ままならぬ妻の介助等のため暗い毎日を送らざるを得ない事情等彼此併せ考えると同人に対する慰藉料は金二〇〇万円を下らないものである。

(2) 弁護士費用            金二五万円

被告らの不誠意な態度により原告典雄は本訴提起を余儀なくされ、これを本件原告ら訴訟代理人に委任し、着手金として金一〇万円を支払い、後日謝金として金一五万円を支払うことを約した。

(五)  損害補償

原告テルは自動車損害賠償責任保険金五七〇万円の給付を受けたので、同女の損害額にこれを弁済充当した。

よって、被告らに対し原告テルは金五九七万四、〇〇〇円(千円未満切捨)原告典雄は金二二五万円及び右各金員に対する本訴状副本送達の翌日たる昭和四六年一〇月三日より完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、被告らの後記主張に対する認否及び反論

1  被告宍戸の主張に対し、

第(一)項中、被告小坂に過失のあることは認める。

第(二)項中、原告テルが、日曜日を除き、毎朝仙台市の青空市場まで送って貰っていたこと、及び荷物一ケにつき金五〇円の運賃を支払っていたことは認める、その余は否認する。

被告宍戸の好意同乗者による賠償額減額の主張は、テルに何等の事故発生責任がないことと、同乗の有償性に鑑みて失当と言うべきである。

第(三)項は認める。

2  被告会社及び被告小坂の主張に対し、

第(一)項中、被告小坂に過失がないとの点は否認する。

同人にも過失のあることは、被告宍戸の主張第(一)項どおりであるから、右主張をここに引用する。

第(二)項は認める。

第二、被告宍戸の答弁及び主張

一、請求原因に対する答弁

第(一)項中、原告テルの負傷の部位、程度は不知、その余は認める。

第(二)項中、被告宍戸の過失は否認する。

第(三)項の(イ)のうち、被告宍戸が原告ら主張の自動車を所有し、運行に供していたことは認める、賠償責任は否認する。

第(四)項は全部不知。

第(五)項中、自動車損害賠償責任保険金の給付は認める、その余は不知。

二、主張

(一)  本件事故は相被告小坂の重大な過失に基因して発生したものである。

被告小坂は五〇メートル先に宍戸の運転する自動車がセンターラインを越えて横滑りしながら進行してくるのを発見したのであるから、直ちに急ブレーキをかけ、或いはハンドルを左に切る等適切な処置をとれば、本件事故は避けられたものであり、従って、事故発生の基因は被告小坂の過失にある。

(二)  好意同乗者による賠償額の減額。

宍戸は毎朝仙台市の中央市場に赴く用事があり、原告テル及び訴外門間ともへも毎朝仙台市の青空市場に野菜類を運んでいたものであるが、宍戸はたまたま友人安達の紹介でテルらを知り、テルらの依頼により昭和四〇年七月頃以降毎朝のように亘理から右の青空市場へテルら及びその荷物を送っていたものである。そのため宍戸は、

(1) テルらの市場到着の時刻に合せるため従前より三〇分早い朝五時に家を出発することとなり、

(2) テルらを迎えに行くため国道から脇道へ往復四キロの寄り道をなし、

(3) また、昭和四二年五月テルらの荷物を運ぶため駐車禁止区域の青空市場附近に駐車したため罰金に処せられた際、これを機会に便乗を断わる旨を申向けたところ、テルらは、今後罰金に処せられた場合はテルらにおいてこれを支払うから従前どおり是非便乗させて貰い度いと懇請されたため、断りきれずにこれを継続してきたものであり、

(4) 逆に、テルらは今迄利用していた汽車便をやめ宍戸の車を利用するようになってから、朝一時間を節約できるようになった、ものであってこれは全く宍戸の好意から出た同乗と言うべく、賠償額は損害額の二〇パーセント以上減額されて然るべきものである。

尤も、宍戸はテルらの申出により荷物一ケにつき金五〇円の支払を受けてきたが、右に述べた宍戸の不便とテルらの利便を対比すれば、その本質は宍戸の好意による同乗に変りがないものである。

(三)  宍戸はテルに対し、保険金給付とは別に、金四〇万円を支払っている。

即ち、治療費名義をもって昭和四五年七月二四日金三〇万円、同年九月一三日金一〇万円を支払っているので、これは賠償額に充てられるべきである。

第三、被告会社及び被告小坂の答弁及び主張

一、請求原因に対する答弁

第(一)項中、原告テルの負傷の部位、程度は不知、その余は認める。

第(二)項中、被告小坂の過失は否認する。

第(三)項中の(ロ)は否認する。(ハ)のうち、被告会社が原告ら主張の自動車を所有し、運行の用に供していたこと、及び本件事故が被告会社の業務執行中に発生したものであることは認めるが、賠償責任は否認する。

第(四)項中、訴訟委任は認めるが、その余は不知。

第(五)項中、保険金給付は認めるが、その余は不知。

二、主張

(一)  本件事故は相被告宍戸の過失に基因して発生したものである。

宍戸は、小坂の運転する対向車が接近しているにも拘らず、先行車を追い越そうとしてセンターラインを越えて対向車路線に進入したものであって、本件事故は宍戸の追越不適当と前方不注意に基因して発生したものであり、小坂には何らの過失もない。

(二)  小坂の運転する自動車には、構造上の欠陥がなく、機能の障害もない。

第四、証拠関係≪省略≫

理由

原告門間テルが昭和四三年六月一九日午前六時一五分頃名取市植松字宮島八三番地先の国道において、被告宍戸貞雄の運転する同人所有の普通貨物自動車(以下甲車という)に同乗して岩沼方面から仙台方面に向け進行中、対向進行してきた被告小坂忠夫の運転する被告大和運送有限会社所有の大型貨物自動車(以下乙車という)と衝突し、因って傷害を負うに至ったことは当事者間に争いがなく、そして≪証拠省略≫に照らすと、右の傷害の部位、程度は右下腿切断創、左大腿骨骨折の重傷であったことが認められ、右認定に反する証拠はない。

第一、事故発生の状況

≪証拠省略≫を総合すると、

一、事故発生現場の状況及び両車の衝突地点、衝突の箇所、程度等

(一)  事故発生現場は、南方相馬市から岩沼町を経由して北方仙台市に通ずる所謂仙台バイパスの前記地番先の国道であって、その幅員は約一五メートル、アスファルトで舗装された平坦な概ね直線の道路であり見透しは良好であること、そして道路の中央には分離帯(巾及び高さ共約五センチ、長さ約三〇センチのコンクリート製固形物を斜に並べてある)を設け、その両側にはそれぞれ追越車線(分離帯に接する車線)と走行車線(道路端に接する車線)が設けられ、追越車線と走行車線間は白線をもって区分されていること、道路の両側は側溝を距てて埋立空地、南側は側溝を距てて仙台市営バスの車庫であること、

(二)  甲車(宮四の八〇六〇号、いすずエルフ四二年型、積載量二トン)と乙車(福島一く三二七五号、いすず四二年型、積載量七・五トン)が衝突した地点は、分離帯の東側路線(即ち南進路線)内で、道路東端から西方へ約四メートルの地点であり、衝突の箇所は甲車の前部と乙車の前部右側であって、甲車の運転台は原形をとどめぬ程に大破し、乙車は前面右側のガラス及び右側の前照灯、フェンダー、ドアを破損したこと、そして甲車は衝突の勢いで東廻りに半廻転して衝突地点の西南方約一一メートルの地点に頭部を西南方に向けて停止し(南進路線内で道路東端と頭部の左側との距離は約六・六メートル)乙車は衝突地点の南方約五九メートルの地点に頭部を南々東に向けて停止(南進路線内で、道路東端と頭部の左側との距離は約三・九メートル)したこと、

(三)  事故発生当時は、人車の往来は比較的少なかったが、降雨のため路面は漏れ、極めて滑り易い状態であったこと、

二、事故発生に至るまでの経過

(一)  被告宍戸(昭和四年一〇月一四日生)は青果物販売業を営むものであるが、その仕入のため、日曜日を除き、毎朝甲車を駆って相馬市所在の自宅を出発して仙台市所在の中央市場に赴いていたものであり、原告テル(昭和三年八月一三日生)は農業に従事する傍ら訴外門間ともへと共に毎朝野菜類を携えて亘理郡山元町坂元所在の居宅から国鉄を利用して仙台市四番丁に赴き、いわゆる朝市(俗に青空市場ともいう)においてこれを販売していたものであるところ、宍戸は昭和四〇年七月頃知人からたまたまテルらを紹介されたうえ、彼女らとその野菜荷物を朝市まで甲車に便乗させて貰い度き旨の依頼を受けるや、彼女らの居住地が相馬市から仙台市に通ずる国道沿いにあったところから、これを諒承するに至り、爾来宍戸は日曜日を除き、毎朝テル及びともへとその野菜荷物を甲車に乗せて仙台市に向い、先ず彼女らとその荷物を朝市に降ろした後に中央市場に赴いていたものであるが(日曜日を除き毎朝テルらとその荷物を甲車に便乗して朝市に赴いていたことは原告らと被告宍戸間に争いがない)昭和四一年五月頃朝市において宍戸がテルらの荷物を降ろすのを手伝って車から離れたため駐車違反に問われて罰金二、〇〇〇円に処せられたので、それを契機にテルらの同乗を拒り度き旨をテルらに申入れたが、同女らの懇請黙しがたく、本件事故に至るまで便乗させてきたこと(因みに、テル方も自動車を保有し、農業用に使用していたので、日曜日にはその車を夫である原告典雄が運転してテルらとその荷物を朝市に運んでいた)、かくて、事故発生の当朝も、宍戸は助手席に自己の店員訴外半谷ヒデを乗せて甲車を運転し、午前四時四〇分ないし五〇分頃自宅を出発して仙台市に向い、途中午前五時三〇分頃いつものごとく前示山元町坂元先の国道において待機していたテル及びともへとその野菜荷物を甲車に便乗させて仙台市に向い出発したところ間もなく雨が降り出したため、荷台に便乗していたテルを助手席に乗せることとし、運転台の乗者定員三名のところ一名超過して宍戸の左隣りにヒデ(本件事故に因り死亡)その左にともへ(同上死亡)更にその左にテルを乗せ、時速約五〇キロの速度で仙台市に向け、北進路線の走行車線を進行したが、先行車(ライトバン)を追越すため、時速を約六〇キロに加速して追越車線に入ったところ、降雨のため路面が滑り易くなっていたことと、過速度によりハンドルが意のごとくならなかったため車体の安定を失っていわゆる蛇行状態に陥入ったが、宍戸は対向車乙が接近していることに気付かず、従って、減速若くは停車の措置に出でなかったため、遂に甲車は分離帯を越えて南進路線(対向車線)を北東方に向け疾走するに至り、折柄南進路線の概ね走行車線を進行してきた乙車と前示地点において前示のごとき状態で衝突し、宍戸自身も頻死の重傷を負うたこと、

(二)  他方乙車運転の被告小坂(昭和八年八月一日生)は被告会社の運送業務を終えて仙台市から福島県所在の被告会社に帰へるべく、助手席に交代運転手訴外草野正衛を乗せ、空車となった乙車を駆って前示国道の概ね走行車線を時速約五〇キロメートルで南進中、対向車線内を些か蛇行気味に北進していた甲車が右斜前方約四一・二メートルの地点から突如分離帯を越えて南進路線に侵入したのを認め、直ちに急停車の措置に出でると共にハンドルを左に切って衝突を避けようと努めたが、路面湿潤のため約一四・六メートルに亘って車輪が滑走し、剰え、甲車が恰かも乙車に吸い付くがごとくに急速に接近したため衝突を避けることができなかったこと

が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

第二、事故責任

降雨、降雪時に交通事故が多発することは衆知の事実であり、かかる場合には速度を減じ、前方は因より左右両側を十分に注視して安全運転を行い、特に先行車を追い越すときは、路面の滑り具合を充分に勘案して加速の限度を考慮すべきことは運転業務に携わる者の常識とするところである。ところで、前示認定の両車衝突の経過、衝突の地点及び衝突の部位に鑑みると、甲車運転の宍戸は不注意にも路面湿潤時における車輪の滑走とそれに伴うハンドル操作の困難さを看過し、剰え、前方注視義務を怠って乙車が対向路線を進行してくることに気付かずに、唯々先行車(ライトバン)の追い越しのみに専念して加速したため、甲車が蛇行状態に陥入り、しかもかかる状態に陥入った後も減速ないし停車の措置に出でなかったため遂に分離帯を越えて対向車線に飛び込み、もって、乙車と衝突するに至ったのであるから、本件事故の発生責任は総て宍戸にあるものと言わなければならない。

この点につき、原告ら及び宍戸は乙車運転の小坂は約五〇メートル先に甲車が横滑りしながら進行してくるのを発見したのであるから、直に急ブレーキをかけ、或いはハンドルを左に切るなど適切な処置をとれば本件事故は避けられたものである、と主張するところ、小坂は甲車が約四一・二メートル先の地点を南進路線に侵入したのを目撃するや、急拠急停車の措置を採ると共にハンドルを左に切って衝突防止に努めたことは先に認定したとおりであるから、小坂には前方注視義務を怠った過失がなく、また、両車間には四一・二メートルの距離があるとは言うものの、それは甲車の時速約六〇キロの速度と乙車の時速約五〇キロの速度をもって互に接近すればその間僅か一秒余の余猶があるに過ぎないものであり、両車の衝突は特に甲車が南進路線に飛び込んだ一瞬の間に生じたものと看ることができるので、小坂には本件事故発生の責任がない。

第三、賠償責任

(一)  本件事故が宍戸の全面的過失に基づいて惹起されたものであり、被告小坂には乙車運転につき注意義務違背の過失がないことは先に認定したとおりであるから、宍戸は民法第七〇九条により本件事故に因り原告らに与えた損害を賠償すべき責任があるが、小坂にはその賠償責任がなく、従って、被告会社も民法第七一五条所定の賠償責任を負うべきいわれがない。而して乙車に構造上の欠陥及び機能上の障害のないことは原告らと被告会社間に争いのないところであるから、この事実と小坂が乙車運転につき注意を怠っていなかった先認定の事実を併せ考えれば、被告会社は自動車損害賠償保障法第三条本文所定の賠償責任を同条但書により免かれたものと看るのが相当である。

してみると、原告らの本訴請求中被告会社及び被告小坂に対する請求は、同被告らに対するその余の事実を逐一検討するまでもなく、失当たるを免かれない。

(二)  ところで、宍戸は、原告テルが甲車の好意同乗者であることを事由として、賠償額の減額を求めているので考察してみるに、宍戸がテルと知り合うに至った契機及びテルが昭和四〇年七月頃から本件事故に遭うまで約三年間に亘り、日曜日を除く毎朝を宍戸の運転する甲車に便乗して仙台市の朝市に赴いていた経過は先に述べたとおりであるから(前示第一の二、(一)参照)たとへテルが宍戸に対して野菜荷物一個につき金五〇円を交付していても(この点は当事者間に争いがない)これを目して運賃とは称しがたく、それは儀礼的な謝金と言うべきものであり、畢竟、テルの甲車便乗はやはり宍戸の好意にもとづくものに外ならぬものと見受けられるところ、かかる事情のもとに生じたテルの損害に対する賠償責任は通常の交通事故に因って生じた損害に対する賠償責任と同視することのできないものであって、信義則若しくは社会通念に照らしてその責任は軽減されるべきものである。されば、テルが好意便乗した前示事情及び宍戸自身も頻死の重傷を負うに至った事情その他諸般の事情を考慮し、後記認定のテルの損害額(但し慰藉料及び弁護士費用を除く)から一五パーセントを控除した額をもって賠償額と認定するのを相当とする。

第四、損害額

一、原告テルの損害額

1  ≪証拠省略≫を総合すると、テルは前示重傷を負い直に大山外科医院において応急手当を受けたうえ、即日宮城第二病院に転医し(入院は事故当日より昭和四三年一一月三〇日まで一六五日間、通院は同四三年一二月一日より同年一二月三一日まで三一日間)更に宮城県拓杏園に転医し(入院は同四四年一月一〇日より同四五年一二月二五日まで七一五日間)その間、右大腿切断に伴う断端形成手術、左大腿骨骨折に伴う仮関節形成手術を受け、事故当日より六一日間は特に重症であったため医師の指示に従って付添看護人を必要とし、当初の二〇日間は原告典雄外二名の親戚がこれに当ったこと、そして、昭和四五年一二月二五日右大腿切断及び左大腿仮関節形成の後遺症をとどめ独歩不能の状態で治癒するに至ったことが認められると共に、テルが

(一) 前示各病院における医療費 金四九万四、六七六円

(二) 義足、杖代         金四万一、七〇〇円

を支払ったことが認められ、右認定を覆えすに足る証拠はない。次に、原告ら主張の付添看護費、入院中の栄養費及び諸雑費、将来の義足、杖代について考察してみる。

(三) 付添看護費は金一七万〇、四〇〇円と認定する。

付添看護人を必要とする六一日間のうち当初の二〇日間は原告典雄外二名の親戚が付添看護に当ったことは先に認定したとおりであるが、その余の四一日間については、原告らの全立証に照らしても幾名が付添看護したのか知ることができないところ、前示認定のテルの負傷の部位、程度から推して昼夜交替で看護を必要としたことが窺われるところであるから、四一日間の看護人は二名と推認するにかたくなく、そして、当時の賃金事情に鑑みれば、原告ら主張のごとく、一人一日の付添看護料は金一、二〇〇円をもって相当とする。従って、付添看護費は金一七万〇、四〇〇円と算定される。

(四) 入院中の栄養費及び諸雑費は金二二万円と認定する。

テルが入院した期間は前示認定のごとく通算八八〇日であって、当時の物価事情に鑑みれば、原告ら主張のごとく入院中一日分の栄養費は金五〇円、諸雑費は金二〇〇円、合計金二五〇円とみるのが相当であるから、右費用の合計金は二二万円と算定される。

(五) 将来の義足、杖代金一五万三、五二五円と認定する。

≪証拠省略≫を総合すると、テルは右大腿切断及び左大腿骨骨折(ために仮関節形成)による歩行障害のため、医師の指示に従い昭和四五年一二月右大腿部に義足を装着し、S型ステッキを使用するに至ったが(その費用合計金四万一、七〇〇円であることは前示(二)のとおりである)、これらの義足、ステッキは概ね四年に一度買替える必要のあることが認められ、右認定に反する証拠がないので、テル(昭和三年八月一三日生)の平均余命三四・五年(原告ら主張の厚生省第一二回生命表による)に鑑みて、義足、ステッキの将来における買替費用をホフマン式計算方法(年五分の割合による中間利息控除)により算出すれば、原告ら主張の別紙計算表第一のとおり金一五万三、五二五円と算定される。

2  休業補償費は金一〇三万三、一六〇円と認定する。

テルが事故当日たる昭和四三年六月一九日より同四五年一二月二九日治癒するまでの九二〇日間を負傷の治療に専念したことは先に認定したとおりであるから、その間家事及び農業に従事し得なかったことは前示認定の負傷の部位、程度に照らして明らかなところ、≪証拠省略≫に照らすと、原告ら主張のごとく、テルの一日分の賃金が金一、一二三円と認められるので、右期間の休業補償費は金一〇三万三、一六〇円と算定される。

3  稼働能力低下による逸失利益は金五二〇万四、五四一円と認定する。

テルが右大腿切断(労災保険後遺症第四級五号)及び左大腿仮関節形成(同上第七級一〇号)の後遺症をとどめて治癒したことは先に認定したとおりであるから歩行を伴う稼働能力は皆無とみることができるけれども、幸いにもその他の部分には障害を遺していないから、同女の後遺症に伴う稼働能力の低下率は九〇パーセント、即ち前示認定の日収金一、一二三円のうち金一、〇一一円(円位未満四捨五入)を喪失したものとみるのが相当である。そして、同女の生年月日から推して負傷治癒の昭和四五年一二月二五日当時同女の年令が四二才余であることは計数上明らかなところ、家事若くは農業に従事する女性の稼働可能年限は原告ら主張のごとく、六三才をもって相当とするから、テルは猶ほ二一年の稼働可能期間を有していたものとみることができる。そこで、右の事実にもとづき右期間の逸失利益をホフマン式計算方法(年五分の割合による中間利息控除)により算出すれば、別紙計算表第三のごとく昭和四五年一二月における現在価額は金五二〇万四、五四一円(円位未満四捨五入)と算定される(因みに、この点に関する原告ら主張の金四五〇万二、〇四〇円は金五六〇万一、〇四〇円の誤算であること明らかである)。

4  慰藉料は金四〇〇万円と認定する。

テルが本件事故による負傷を治癒するため長期間に亘って入院し、その間右大腿切断に伴う断端形成手術、左大腿骨骨折に伴う仮関節形成手術を受けるなどして、肉体的には因より精神的にも多大の苦痛を味い、しかも幸い一命はとりとめたものの、右大腿切断、左大腿仮関節の不具者となり、そのため生涯を夫典雄や家族の世話のもとに過ごさなければならなくなったことに基づく現在及び将来における精神的苦痛は推測するに難くないところであり、他面、本件事故が好意便乗中に発生したものであることにも思いを致すのほか、その他諸般の事情を彼此併せ考えて、テルに対する慰藉料は金四〇〇万円をもって相当と認定する。

5  弁護士費用は金二五万円と認定する。

≪証拠省略≫に徴すると、テル及び典雄が本件原告ら訴訟代理人に対し、本訴の提起及びその遂行を委任して、テルにおいて金五〇万円(内着手金二〇万円、謝金三〇万円)典雄において金二五万円(内着手金一〇万円、謝金一五万円)の弁護士費用を負担するに至ったことが認められるところ、その反面示談解決に誠意を示さなかったのは宍戸が保険契約を締結した保険会社であって宍戸自身は寧ろ賠償の意向を示していたことが認められるところであるから、この事実と本件記録に現われた弁論期日の回数、証拠調の程度等を併せ考え、宍戸がテルに対して負担すべき弁護士費用は金二五万円をもって相当と認定する。

二、原告典雄の損害額

1  慰藉料は金一〇〇万円と認定する。

典雄がその妻たるテルの蒙った前示負傷及びその後遺症により、テルの長期に亘る入院加療中における肉体的、精神的苦痛はもとより、生涯テルを介抱し扶養していかなければならない負担に伴う現在及び将来における精神的苦痛は容易にこれを推認しうるところであるから、この事実とその他諸般の事情を勘案して典雄に対する慰藉料は金一〇〇万円をもって相当と認定する。

2  弁護士費用は金六万円と認定する。

この点に関する判断はテルに対する前示一の5におけるそれと軌を一にするのでこれをここに引用し、宍戸が典雄に対して負担すべき弁護士費用は金六万円をもって相当と認定する。

第五、賠償額

一、原告テルに対する賠償額

(一)  テルが本件事故に因り蒙った損害額のうち医療費、入院中の付添看護費及び栄養費諸雑費、義足杖代、休業補償費、稼働能力低下による逸失利益(前示第四の1の(一)ないし(五)、2、3)の合計は金七三一万八、〇〇二円と算定されるところ、本件事故がテルの好意便乗中に発生したものであることに鑑みて、損害額から一五パーセントを控除した額をもって賠償額とすべきことは先に述べたとおりであるから、賠償額は金六二二万〇、三〇二円と算定される。

(二)  ところで、テルが自動車損害賠償責任保険金五七〇万円の給付を受け、また宍戸から金四〇万円の弁済を受けたことは当事者間に争いのないところであるから、これらの受領金を(一)の賠償額金六二二万〇、三〇二円から控除すれば、その残存賠償額は金一二万〇、三〇二円と算定される。

(三)  されば、宍戸はテルに対し右金一二万〇、三〇二円と慰藉料金四〇〇万円、弁護士費用金二五万円の合算額金四三七万〇、三〇二円とこれに対する本訴状副本送達の後であること本件記録に照らして明らかな昭和四六年一〇月三日より完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき責任がある。

二、原告典雄に対する賠償額

宍戸は典雄に対し慰藉料金一〇〇万円と弁護士費用金六万円の合算額金一〇六万円とこれに対する本訴状副本送達の後であること本件記録に照らして明らかな昭和四六年一〇月三日より完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき責任がある。

以上のような次第で、原告らの本訴請求は、被告宍戸に対する前示第五の一、(三)及び二において認定した賠償額の限定においてこれを正当とすべきも、同被告に対するその余の請求及び被告会社並びに被告小坂に対する各請求はいずれも失当たるを免かれないので、いずれもこれを棄却する。

よって、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 牧野進)

<以下省略>

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